KURONO KATANの日記

焼き絵作家:黒乃香丹のツブヤキぶろぐです。

一人称と、絵に対する想いについて話そうか。

ハローハロー世界。

こちらは何とも綺麗な青空で、昼には真夏並みの暑さになるなんて予報も出てますよ。

冬生まれなのに夏の方が元気。

どうもこんにちは、黒乃香丹です。

 

 

突然ですが、皆さんは一人称って何を使ってますか?

ぼくは、「ぼく」を主に使いつつ、公共の場では「私」を使っています。

 

一人称って面白いですよねぇ。

日本語においてそれはもうたくさんあって、どの一人称を使うかによって個性まで表せるレベル。

でも、どの一人称にもジェンダー的イメージが確立されていて、性別、偏見とは切っても切れない関係性です。

 

ぼくは、ぼくには、概念においての性別はありません。

好きになる人の性別なんて全く気にしない。

自分に対しても、性別というものを意識していないので、求められると少し困る。

そんな人間です。

まあ、こんなことを言っても理解できるひとは一握りかもしれないので、あまり深く考えず、ふーん、くらいにとどめておいてください。

つまり一人称の話をして何が言いたいのかというと、ぼくは、女性らしいとか、男性らしいとか、そういうジェンダーにおいての偏見にひどく敏感に嫌悪を感じるということです。

だから、まるで抗うかのように、ぼく、を使っているのだと思います。

 

女性だから甘いものが好きとか。

男性だからリードしなきゃいけない、とか。

本当に心底くだらないと思っていて。

ぼくから見た人は、そんなに簡単に分類できるものでは決してなくて、その人個人を見ること、知ることで精いっぱいです。

ぼくにとって人は、性別問わず、ただの人です。

フラットに、個人。

その性格に惹かれたり、見た目に惹かれたり、それは様々ですが、その魅力は、その人だからにじみ出るものです。

性別に出番はありません。

 

だから、というか、、、、。

ぼくは人物画が、実はひどく苦手なのです。

 

そこにつながるんかーい!と思った人もいるかも。

エス。そこにつなげるために、先の話をしたのだ!

 

人が嫌いなわけではなくて、美人画として描かれるのは女の人だけ、とか。

そういうのが、ダメなのです。

そして、自分が魅力的に思った人しか描きたくはないが、その人を描くことで、そういう目線に晒されるのも嫌だ。

と、思ってしまう。どうしても。

 

なので、ぼくは人を描けません。

イラストとかは別ですが(理想で描けるので)、焼き絵は無理かも。

 

じゃあどうして動物を描くのか、動物なら描けるのか。

動物にだって性別はあるじゃないか、見た目にだって差がある種類も居る。

そう思う方もいるかもしれない。

本当にそうですね、って感じなのですが。

 

え、だって、動物って性別によって、可愛い可愛くないとか、無くない?

ってのが本音ですw

 

人間ってのとは違って、動物は自分とは全く別の生き物です。

そこに性があろうとなかろうと、ぼくたち人間には関係ない。

だから等しく面白いし、愛しいし、可愛い、になるのではないでしょうか。

 

それに、ぼくは単にものすごい動物が好き。

ジェンダー的概念が持ち込まれないっていう面も確かに好きの要因になっているかもしれないけれど、多分、純粋にただ好きなのだと思います。

可愛いって思えて仕方ない。

だから、ぼくは動物を主に描く絵描きなのです。

 

好きなものを好きだと叫んで。

表現して。

それで許される社会になればいい。

そんなことをずっと思っています。

好きなものを、いいと思うものを否定されず。

そりゃそれが苦手な人もいるだろうから、そういう人はそっと離れて、発言するのはいいね!って思った人だけ。

そんな優しい世界なら、ぼくがジェンダーについて悩む必要も、無いのかもしれない。

 

 

なんて、世迷言ですかね。

 

ではでは、本日はこんなところでお終いにしましょう。

また数日以内にお会いできたらいいですね。

 

アディオス!